先日、近所で起こった年寄り同士の
笑えるような(笑ったらいけないんだけど)
ある事件のことを考えていたら、
「やはり人生、ヒマだとロクなことを
考えないし、ロクなことにならない」、
「年寄りの人生に必要なのは適度で快適な
コミュニケーションと充分暇つぶしに
あたいするくらいの面白いこと
(トラブルでもいい)のふたつで
これがないと厳しいってことだ」と
つくずく思ったねぇ。
よく「お金がないから老後が不安」とか
言ってる人がいるが、そうじゃないと思う。
お金なんかよりコミュニケーションの方が
よほど人を救う。
忙しければ人は不幸を感じるヒマがない。
40歳前後のひきこもりの息子を、
70歳を超えた母親が保険の外交や清掃業務に
従事して支えている、みたいな話を聞くけど、
あれって母親の方も自立していない息子
のおかげで救われているのかもしれない。
(救われていない人はゴメン)
毎日やることがあってヒマにならないし、
「自分がいないとダメだ」と思える相手がいて、
グチや叱責も含めてコミュニケーションが生まれるし、
なんといっても自分の存在感がある。
子供が独立し、結婚して孫もできたけど、
仕事で海外にいてほとんど帰ってこない。
母の日と正月など年2回電話があるだけ(花は届くけど)、
という状態で毎日一人でひがな暮らしている
70歳の母親とどちらが幸せか?と言われたら、
どうだろうか?
ひょっとしたら幸福感とか親としての存在感は
前者のほうがあるかもしれないね。
「よくできた息子」は必ずしも
親孝行な息子とは言えない、なんて思う。
人に希望やコミュニケーションを与えるのは、
仕事と家族と個人の趣味の3つしかない、
なんてある哲学者が言っているけど。
人生はこの3つで成り立っている。
全部揃う必要はない、というか、
全部揃うのはむしろマレだろうけど。
ふたつあればいいし、まあ最低でもひとつあれば
いいと思う。
振り返ってみると、日本は経済が停滞し、
まずは「仕事」が壊れ、そして「安定した生活」
が壊れた。
社会には、なんの工夫も必要なく、
なんの変化もない単調な仕事が一定数存在する。
そういう仕事がなければ社会はうまく回らないし、
安定した社会は望めない。
そしてそういう仕事の数は、
学生や主婦・高齢者パートなど
「仕事に生き甲斐を見つける必要はない」
人の数とバランスしているのが理想だ。
その反対側として、なんらかの面でおもしろいと
思える変化のある仕事の数と、
おもしろい仕事をしたいと思っている人の
数もバランスしている必要がある。
ところが日本は1990年以降、全体として
新しい「おもしろい仕事」を増やせていない。
昔だったら個人はなんの工夫もしなくても、
どんどん新しい仕事が増えていた。
単調な仕事も技術と世の中の変化により
進化を余儀なくされ、
ずっとやっていてもそれなりに楽しめた。
今は多くの人がおそらく一生このまま
何も変わらないと思える
なんの変化もない単調な仕事をやらざるを
得なくなっている。
そういう仕事に「希望」を見いだすのは困難だ。
じゃあ、自分でそうではない仕事を見つければ
いいじゃないかというのは正論だけど、
そうできない人は一定数、必ず存在する。
昔はそれでもよかった。
なぜなら家族に生き甲斐を見いだすことが
(今に比べれば)圧倒的に容易かったからだ。
とりあえず誰かと結婚させられ、
とりあえず子供が生まれた。
結婚や親になることにそんなに積極的でなかった人も、
いやおうなくコミュニケーションをとる必要が生まれ、
日々成長する「希望の種」(子供)と暮らすことが
可能になった。
これなら仕事が退屈でくだらなくても、
それはそれでいいと思える。
仕事も家族も、自分の生きる支えとなるものを
手に入れるのが昔より圧倒的に難しくなっている。
じゃあ、個人の趣味が充実していて、
それだけで幸せに生きられるかというと、
そういうものを見つけるのもまた、
仕事や家庭を手に入れることと同様に難しい。
収入が伸びない現在においては、
それを見つけることも、
より難しくなっているかもしれない。
どれも手に入らない、どれも手に入る
見込みがない状態で希望とコミュニケーションを失い、
ヒマをもてあます人を、多くの
「依存性エンターテイメント産業」が待ち受ける。
アルコールしかり、パチンコしかり、競輪・競馬
などの各種ギャンブル、株式投資、ショッピング、
そしてゲームを含めたネットサービスも
その一端を担ってる。
ご丁寧にそれらへの依存を持続可能にする
「消費者金融」という仕組みも存在し、
そのボトムラインが“自殺統計”に現われる。
「私はもう十分豊かだ。
無理して経済成長なんてしなくていい。」
という意見には諸手を挙げては賛成できない。
タイタニック号のような客船お
上半分に乗っている人はそれでいいだろう。
しかし、社会が成長し変化しなければ、
船は下の方から順に沈んでいく。
(実際もうかなり沈んでいて、
大変なことになっている人が増えている。)
「自分は今くらいでいいと思う」というのは
あまりに無邪気すぎる。
自分で創意工夫して努力して考えたら道は開ける!
というのは正論だと思うけど、
何にも考えずに社会の波に流されているだけで
幸せになれた時代こそがいい時代だったと振り返られる。
努力が求められることはもちろん、
才能やセンスまで問われ、
それらがなければ幸せになれない時代なんて、
大変すぎる。
2011年07月01日
2011年05月19日
「草食系若者」の反撃があるのかも?
就職して初めての連休ということで
大勢の子どもたちの友人が遊びに来た。
社会人になった、という周辺環境の激変もあり
話題には事欠かなかったようだ。
大学を今年卒業して就職した長男に比べて
長男の同級生の多くは2年前に就職している
だからみなが社会での先輩であり、
あれやこれや仕事や人生の薀蓄について
説教をするらしい。
説教をありがたく聞いていると
まじめな説教がどんどんと
自慢話に変わってくるらしく
うっとおしいようだ。
その自慢話はいろいろあるようだけど
今オレは1千万円貯金しているんだよ、
とか、来月マンションの契約をするとか
友人から中古だけどドイツ車を買ったんだよ、
今度乗せてやるよ、とかとかで、
息子のような後発組みにはどうしようもない
テーマで来られるので反撃の余地がないという。
ところで彼からいろいろ話を聞けば聞くほど
彼らは人生に対してすこぶる現実主義で、堅実で、
慎重で、できるだけ安定志向で
歩もうとしているのがよく分かる。
これまた彼らが「草食系」と
いわれる所以なのだろうが、
ほとんど彼らに共通しているのだ。
(まあそういった似たような友人が
多いと言うことなのだろう)
しかしいざ仕事の話になると
やや話のトーンが下がったり、
顔も俯き加減になるやつもいる。
食品会社のトモ君は朝の4時に出勤したり、
中には徹夜で従事しなければならない
めんどい仕事もあるらしい。
医学部を無事卒業したマリ女史も
地元の大病院に就職できたものの
出勤日は毎日睡眠時間2・3時間しかなく
市内に家があるにもかかわらず
病院の宿直室で寝泊りしなくては
ならないくらい忙しいと言う
45キロあった体重も40キロを
割ってういるらしい。
大企業に就職できたツネちゃんたちも
転勤、転勤で来月は岩手県の営業所に
行かなければならないようで憂鬱だと言う。
研究職にやっとありつけた
フジちゃんももうすでに夜の10時過ぎまで
実験や試作品作りでバテ気味で、
その割には給料が安い、などとぼやいている。
強力なコネで農水省に入った
ヤマちゃんも現実がこまずかいばかりで
ストレスをためてパチンコ三昧の毎日らしい。
まあ世の中それほど甘くない
と言うことなのだろうね。
それにしても単純に今の若者は
一昔の若者に比べるとけっこう大変だと思う。
公務員も大企業も、もちろん中小企業などは
グローバル化やIT化などの伸張で
10年前に比べてると格段に忙しく
なっているような気がする。
その割には給料は上がらない、
むしろ公務員などはどんどん下落傾向にある。
(公務員に関したら当然なのだろうが)
こういった様々な状況が彼らを「草食系」に
追いやっているのかもしれないと最近、
つくずく感じるようになったのだ。
「肉食系」では生きれない、
いや美味しいに違いないだろうと
思っている肉を追って大きなコストや
様々なリスクを背負って追いかけるのだったら
それこそナマケモノのように
できるだけ無駄な動きは避けて
葉っぱ3枚を食べるだけで安定した
日常を送るほうを選択するのは
すこぶる妥当な考えだ、と思うのだ。
やはり「草食系」は今風合理主義のような
気がするのだがどうだろう?
大勢の子どもたちの友人が遊びに来た。
社会人になった、という周辺環境の激変もあり
話題には事欠かなかったようだ。
大学を今年卒業して就職した長男に比べて
長男の同級生の多くは2年前に就職している
だからみなが社会での先輩であり、
あれやこれや仕事や人生の薀蓄について
説教をするらしい。
説教をありがたく聞いていると
まじめな説教がどんどんと
自慢話に変わってくるらしく
うっとおしいようだ。
その自慢話はいろいろあるようだけど
今オレは1千万円貯金しているんだよ、
とか、来月マンションの契約をするとか
友人から中古だけどドイツ車を買ったんだよ、
今度乗せてやるよ、とかとかで、
息子のような後発組みにはどうしようもない
テーマで来られるので反撃の余地がないという。
ところで彼からいろいろ話を聞けば聞くほど
彼らは人生に対してすこぶる現実主義で、堅実で、
慎重で、できるだけ安定志向で
歩もうとしているのがよく分かる。
これまた彼らが「草食系」と
いわれる所以なのだろうが、
ほとんど彼らに共通しているのだ。
(まあそういった似たような友人が
多いと言うことなのだろう)
しかしいざ仕事の話になると
やや話のトーンが下がったり、
顔も俯き加減になるやつもいる。
食品会社のトモ君は朝の4時に出勤したり、
中には徹夜で従事しなければならない
めんどい仕事もあるらしい。
医学部を無事卒業したマリ女史も
地元の大病院に就職できたものの
出勤日は毎日睡眠時間2・3時間しかなく
市内に家があるにもかかわらず
病院の宿直室で寝泊りしなくては
ならないくらい忙しいと言う
45キロあった体重も40キロを
割ってういるらしい。
大企業に就職できたツネちゃんたちも
転勤、転勤で来月は岩手県の営業所に
行かなければならないようで憂鬱だと言う。
研究職にやっとありつけた
フジちゃんももうすでに夜の10時過ぎまで
実験や試作品作りでバテ気味で、
その割には給料が安い、などとぼやいている。
強力なコネで農水省に入った
ヤマちゃんも現実がこまずかいばかりで
ストレスをためてパチンコ三昧の毎日らしい。
まあ世の中それほど甘くない
と言うことなのだろうね。
それにしても単純に今の若者は
一昔の若者に比べるとけっこう大変だと思う。
公務員も大企業も、もちろん中小企業などは
グローバル化やIT化などの伸張で
10年前に比べてると格段に忙しく
なっているような気がする。
その割には給料は上がらない、
むしろ公務員などはどんどん下落傾向にある。
(公務員に関したら当然なのだろうが)
こういった様々な状況が彼らを「草食系」に
追いやっているのかもしれないと最近、
つくずく感じるようになったのだ。
「肉食系」では生きれない、
いや美味しいに違いないだろうと
思っている肉を追って大きなコストや
様々なリスクを背負って追いかけるのだったら
それこそナマケモノのように
できるだけ無駄な動きは避けて
葉っぱ3枚を食べるだけで安定した
日常を送るほうを選択するのは
すこぶる妥当な考えだ、と思うのだ。
やはり「草食系」は今風合理主義のような
気がするのだがどうだろう?
2010年05月30日
近いうちに住宅の半分は誰も住んでいない、なんてことになりそうだね。
松山の郊外の商業地や住宅地を
自転車で走っていて感じるのは
「テナント募集」とか「入居者募集」
「売り物件」とか「売り土地」というような
不動産看板がやたらと多い。
中には四つ角の4階建てのビル丸ごと
「空きビル入居者募集」なんていうような
でかい看板が掲げてあったりする。
「30%安くします」とか「今月中に
申し込んでくれたら家賃半額にします」
何てことになれば借り手もいるんじゃないかなぁ、
って思うのだが、そのへんはいろんな御事情が
あるのだろうから、変に詮索してもしかたないが、
なぜ何年も空室にしているのだろうか?
もったいないなあ、と思う。
国道近くには2年ほど前から
3件続いて「空き室」の看板が出ていて、
そのまま一向にテナントの入る気配が
ないってなところもあるのだ。
たとえばこれが株式市場だったら
どういうことになるだろうか。
買い手がない場合はどんどん価格を下げて
買い手が現れるまで下げていく、
どうしてもなかったらストップ安、ということで
大きく値を下げてしばらく待つ。
今の不動産市場を見ていると
売り気配の値段付かず、という状態であるにも
係わらず値段を切り下げようとしない、
これでは商いが成立しないのはしかたがない。
景気が良くなるのを待って
テナントが今の値段でいいから入居したい、
というまで待とうとしているのだろうか、
それともこの値段より下げて貸してはいけない
と金融機関から釘を打たれているのか、
とにかく空室で開けておくのは
資源の無駄以外の何でもない。
このあたりが不動産業界の
不効率なシステムが明確になってくるのだ。
それと同じことが労働力にも
言えるのかもしれない。
求人よりも働きたいという人が多ければ
市場原理を基本にすれば当然賃金は下がる。
下がった値段で採用してそれで儲かってきたら
徐々に上げてきたらいい、なんていうのはダメ?
それにしても大きな住宅造成地や
新築マンションなども在庫で溢れていて
売る側としては大変だと思うが
いっそ「先着10名様は半額セ-ル」とか
まとめて3件買えば1件はサービス、
なんていう手でも使ってでもこの際
売ったほうがいいんじゃないかと思うのだ。
え、これからまた景気が良くなって
家を建てる人が増えるって?
思うにこれから30年くらいはどんどん給料は
下がって行くんじゃないか、と思う。
中国や韓国、インドの給料が
ほぼ日本の給与基準に追いつくまで
日本国内の労働賃金は下がり続けると思う。
実家の内子は近いうちに住宅の半分は
空き家になるのではないか、と思う。
間違いない。(え、もうなっているの?)
自転車で走っていて感じるのは
「テナント募集」とか「入居者募集」
「売り物件」とか「売り土地」というような
不動産看板がやたらと多い。
中には四つ角の4階建てのビル丸ごと
「空きビル入居者募集」なんていうような
でかい看板が掲げてあったりする。
「30%安くします」とか「今月中に
申し込んでくれたら家賃半額にします」
何てことになれば借り手もいるんじゃないかなぁ、
って思うのだが、そのへんはいろんな御事情が
あるのだろうから、変に詮索してもしかたないが、
なぜ何年も空室にしているのだろうか?
もったいないなあ、と思う。
国道近くには2年ほど前から
3件続いて「空き室」の看板が出ていて、
そのまま一向にテナントの入る気配が
ないってなところもあるのだ。
たとえばこれが株式市場だったら
どういうことになるだろうか。
買い手がない場合はどんどん価格を下げて
買い手が現れるまで下げていく、
どうしてもなかったらストップ安、ということで
大きく値を下げてしばらく待つ。
今の不動産市場を見ていると
売り気配の値段付かず、という状態であるにも
係わらず値段を切り下げようとしない、
これでは商いが成立しないのはしかたがない。
景気が良くなるのを待って
テナントが今の値段でいいから入居したい、
というまで待とうとしているのだろうか、
それともこの値段より下げて貸してはいけない
と金融機関から釘を打たれているのか、
とにかく空室で開けておくのは
資源の無駄以外の何でもない。
このあたりが不動産業界の
不効率なシステムが明確になってくるのだ。
それと同じことが労働力にも
言えるのかもしれない。
求人よりも働きたいという人が多ければ
市場原理を基本にすれば当然賃金は下がる。
下がった値段で採用してそれで儲かってきたら
徐々に上げてきたらいい、なんていうのはダメ?
それにしても大きな住宅造成地や
新築マンションなども在庫で溢れていて
売る側としては大変だと思うが
いっそ「先着10名様は半額セ-ル」とか
まとめて3件買えば1件はサービス、
なんていう手でも使ってでもこの際
売ったほうがいいんじゃないかと思うのだ。
え、これからまた景気が良くなって
家を建てる人が増えるって?
思うにこれから30年くらいはどんどん給料は
下がって行くんじゃないか、と思う。
中国や韓国、インドの給料が
ほぼ日本の給与基準に追いつくまで
日本国内の労働賃金は下がり続けると思う。
実家の内子は近いうちに住宅の半分は
空き家になるのではないか、と思う。
間違いない。(え、もうなっているの?)
2010年05月27日
やっぱイギリスでも草食系男子が増えているようだね。
親より豊かになれない時代が
やってきたのはどうやら日本だけでなく、
イギリスをはじめアメリカやカナダなども
若者受難の時代を迎えているようだ。
先日のイギリスの週刊誌に
「20代で家が持てなくなった
イギリスの若者たち」という見出しの
特集記事が掲載されていた。
先進国は何処の国でも若者に
しわ寄せがきているようで
この時期のかじ取りしだいで
将来の国家ビジョンに大きく差が
つくのではなかろうか、と思ったりする。
ボクらの若い頃、一緒に
仕事をしていた連中はみな
「30歳までに家を建て、結婚して
子どもを2人くらいは育てたいなェ、
そして40歳くらいまでには独立して
一国一城の主になる」
なんていうような初期的で明快な
目標があった。
個性や自分らしさ、拘り、なんていう
耳触りのいい言葉が飛び交っていた
時代ではあったのだが、やはり1人前になる、
大人たちにバカにされないためにも
それらの条件を満たす必要があったようだ。
今思えばそう考えながら頑張ってきたのも
それはそれで意味があったように思うが
自分の子どもたちがそれと同じ考え
だとすると「おいおい、ちょっと待てよ」
と言ってしまうだろう。
勿論、彼らはそんなことを言ったこともないし
恐らく思ってもいないだろうが、
仮に「オレも30歳までには家の一軒も持ちたい」
何ていうようなことを言いいだすと、
「アホ、時代遅れなこと考えとるな」と
一蹴してしまうであろう。
イギリス人が家にこだわるのは
有名な話である。
日本人の若者が25歳くらいになれば
車の一台くらい持っていないと
一人前に扱われない、と思っていたのと
同じように20代で家を建てるのは
当たり前のように思われていた。
まあ日本のように結婚して子どもが出来て
少し仕事も安定してきたから家(マイホーム)
でも買おうか、なんて一大決心をして
買うのではなく、とりあえず今は独身だから
部屋は1つあったらいいから小さなフラットを
購入して、また余裕が出来たらそれを売って
大きな家にする、てなノリで家を購入する。
彼らはそれを長い人生の最初の家
ということでスターターホームと言っているらしい。
結婚して一緒に住むにには十分の
広さがあれば敢えて建て増しなどしない。
子どもが生まれて奥さんが多少家事を
し始める頃に建て増しをしたり、
大きな家に引っ越ししたりするのだ。
日本人が車や食べものに拘るのと同じように
イギリス人は住宅に拘るのだ。
それも時系列であれこれ考える。
しかしそれもイギリス型草食系男子の
出現になるのだろうか、あまり家には
拘らなくなってきたようだ。
(まあ、購入する余裕もなくなってきたのだろう)
イギリスの子どもたちは
18歳くらいになれば親元を離れて
自立するのが当たり前で、
その上経済的自立を成し得て
やっと一人前と認められる伝統だけに
じっと親元から離れず、あるいは安い借家で
暮らすことに抵抗が無い若者が増えていると
というのが実に興味深い。
「家や車なんて欲しくないや
もっとのんびり生きた方が楽しいぜ」
何て言う声が聞こえてきそうだ。
やっぱりイギリスでも草食系男子が
増えているようだね。
やってきたのはどうやら日本だけでなく、
イギリスをはじめアメリカやカナダなども
若者受難の時代を迎えているようだ。
先日のイギリスの週刊誌に
「20代で家が持てなくなった
イギリスの若者たち」という見出しの
特集記事が掲載されていた。
先進国は何処の国でも若者に
しわ寄せがきているようで
この時期のかじ取りしだいで
将来の国家ビジョンに大きく差が
つくのではなかろうか、と思ったりする。
ボクらの若い頃、一緒に
仕事をしていた連中はみな
「30歳までに家を建て、結婚して
子どもを2人くらいは育てたいなェ、
そして40歳くらいまでには独立して
一国一城の主になる」
なんていうような初期的で明快な
目標があった。
個性や自分らしさ、拘り、なんていう
耳触りのいい言葉が飛び交っていた
時代ではあったのだが、やはり1人前になる、
大人たちにバカにされないためにも
それらの条件を満たす必要があったようだ。
今思えばそう考えながら頑張ってきたのも
それはそれで意味があったように思うが
自分の子どもたちがそれと同じ考え
だとすると「おいおい、ちょっと待てよ」
と言ってしまうだろう。
勿論、彼らはそんなことを言ったこともないし
恐らく思ってもいないだろうが、
仮に「オレも30歳までには家の一軒も持ちたい」
何ていうようなことを言いいだすと、
「アホ、時代遅れなこと考えとるな」と
一蹴してしまうであろう。
イギリス人が家にこだわるのは
有名な話である。
日本人の若者が25歳くらいになれば
車の一台くらい持っていないと
一人前に扱われない、と思っていたのと
同じように20代で家を建てるのは
当たり前のように思われていた。
まあ日本のように結婚して子どもが出来て
少し仕事も安定してきたから家(マイホーム)
でも買おうか、なんて一大決心をして
買うのではなく、とりあえず今は独身だから
部屋は1つあったらいいから小さなフラットを
購入して、また余裕が出来たらそれを売って
大きな家にする、てなノリで家を購入する。
彼らはそれを長い人生の最初の家
ということでスターターホームと言っているらしい。
結婚して一緒に住むにには十分の
広さがあれば敢えて建て増しなどしない。
子どもが生まれて奥さんが多少家事を
し始める頃に建て増しをしたり、
大きな家に引っ越ししたりするのだ。
日本人が車や食べものに拘るのと同じように
イギリス人は住宅に拘るのだ。
それも時系列であれこれ考える。
しかしそれもイギリス型草食系男子の
出現になるのだろうか、あまり家には
拘らなくなってきたようだ。
(まあ、購入する余裕もなくなってきたのだろう)
イギリスの子どもたちは
18歳くらいになれば親元を離れて
自立するのが当たり前で、
その上経済的自立を成し得て
やっと一人前と認められる伝統だけに
じっと親元から離れず、あるいは安い借家で
暮らすことに抵抗が無い若者が増えていると
というのが実に興味深い。
「家や車なんて欲しくないや
もっとのんびり生きた方が楽しいぜ」
何て言う声が聞こえてきそうだ。
やっぱりイギリスでも草食系男子が
増えているようだね。
2010年05月26日
ハードルの低い人生って何て自由で豊かなのだろう。
息子の誕生日に近所の焼肉屋の
焼肉食べ放題に行った。
老人になってから欲?がめっきり
無く(少なく)なってしまったので
楽しみとしてはせいぜい子どもたちと
バイキングや温泉、あるいは子どもたちの好きな
焼肉食べ放題でもいくくらいで
けっこう幸福感を感じてしまうのだ。
それにしてもここの焼肉のロースの
最初の一口ってなんて美味しいんだろう、
といつもながら感心する。
もともと幸福の水位や欲望の充足ラインが
低く設定されているので、こんなことでも
「ああ、幸せぇー」という気分になれるのだ。
また雨の日に近くの喫茶店で
モーニングセットと出来たての珈琲を
窓から見える紫陽花の花から滴り落ちる
雨水を見ながら飲むだけで、
「ああ、生きてて良かった」なんて
感慨にふけってしまうのだ。
この程度で幸福を感じるなんて、
他人から見ればバカじゃないのか、
何と薄っぺらで、高い志のない人間だな、
なんて思われるかもしれないが、
まあボクはこの程度で快感をもよおせるのも
ある意味才能ではないかと思ったりする。
こえれからまだ幾年月か生きなければ
ばらないこのご時世で、こういった才能は
生存戦略上有利に働くのではないか、
と思っている。
これまでボクの周りには逆の人間、
いくら欲しいモノが手に入っても
好きなことが出来ても、
つねに欲望が満たさずいつもストレスをためている
いつも何かに飢えている人間がいた。
向上心を持つことはある意味満たされない
欲望に付き纏われるようなものではないか、
と思ったりする。
年収が1000万円超ても、2000万円を
目指さなければならない、
100坪の家を買っても500坪のプール
付きの家でないとダメだ、
BMWではダメだ、ベンツに乗らなければ
バカにされる、
こんなところで満足しちゃいられない、
と苛立って「もう一ランク上の自分を、
と「向上心」に賭ける。
今まではそういった人が優秀な人であったり、
立派な人、と学校でも社会でも言われてきた。
だから宮沢賢治のように
「一日玄米四合と少しばかりの野菜で」
とか「みんなから木偶の坊と呼ばれ、
褒められもせず苦にもされない」と言ったような
生き方はダメな生き方なので
学校では教えない、ということになっていた。
でもこういった生き方も
それなりにかっこいいんじゃないかな、
と思えるようになってからはとても楽になった。
ハードルの低い人生って
なんて自由で豊かなんだろう、
と思えるようになってきたのだ。
まだまだいいことはあるが
ここでは書ききれないのでまたそのうちに。
焼肉食べ放題に行った。
老人になってから欲?がめっきり
無く(少なく)なってしまったので
楽しみとしてはせいぜい子どもたちと
バイキングや温泉、あるいは子どもたちの好きな
焼肉食べ放題でもいくくらいで
けっこう幸福感を感じてしまうのだ。
それにしてもここの焼肉のロースの
最初の一口ってなんて美味しいんだろう、
といつもながら感心する。
もともと幸福の水位や欲望の充足ラインが
低く設定されているので、こんなことでも
「ああ、幸せぇー」という気分になれるのだ。
また雨の日に近くの喫茶店で
モーニングセットと出来たての珈琲を
窓から見える紫陽花の花から滴り落ちる
雨水を見ながら飲むだけで、
「ああ、生きてて良かった」なんて
感慨にふけってしまうのだ。
この程度で幸福を感じるなんて、
他人から見ればバカじゃないのか、
何と薄っぺらで、高い志のない人間だな、
なんて思われるかもしれないが、
まあボクはこの程度で快感をもよおせるのも
ある意味才能ではないかと思ったりする。
こえれからまだ幾年月か生きなければ
ばらないこのご時世で、こういった才能は
生存戦略上有利に働くのではないか、
と思っている。
これまでボクの周りには逆の人間、
いくら欲しいモノが手に入っても
好きなことが出来ても、
つねに欲望が満たさずいつもストレスをためている
いつも何かに飢えている人間がいた。
向上心を持つことはある意味満たされない
欲望に付き纏われるようなものではないか、
と思ったりする。
年収が1000万円超ても、2000万円を
目指さなければならない、
100坪の家を買っても500坪のプール
付きの家でないとダメだ、
BMWではダメだ、ベンツに乗らなければ
バカにされる、
こんなところで満足しちゃいられない、
と苛立って「もう一ランク上の自分を、
と「向上心」に賭ける。
今まではそういった人が優秀な人であったり、
立派な人、と学校でも社会でも言われてきた。
だから宮沢賢治のように
「一日玄米四合と少しばかりの野菜で」
とか「みんなから木偶の坊と呼ばれ、
褒められもせず苦にもされない」と言ったような
生き方はダメな生き方なので
学校では教えない、ということになっていた。
でもこういった生き方も
それなりにかっこいいんじゃないかな、
と思えるようになってからはとても楽になった。
ハードルの低い人生って
なんて自由で豊かなんだろう、
と思えるようになってきたのだ。
まだまだいいことはあるが
ここでは書ききれないのでまたそのうちに。
2010年05月23日
いずれ死ぬ、ということで今ここにある生をどう組織化するか。
同じようなことをくどくど語るのは
本当に恐縮なんですが、またまた書く、
クドイ?
死んだらどうなるのかなんていうような
死を理解する、ということはそもそも
おかしな話なのだ。
何故なら誰でも自分の死は
理解できないのだから。
自分自身が死ぬということを
経験することなんてできないのだ。
知りえるのはせいぜい他人の死を
どう受け止めたらいいか、
ということやそれを通じて自分の死を
どう受け止め、どう理解すればいいか、
ということだけだ。
つまり自分の死は観念でしか
理解できないということなのだ。
子どもによく死の話をする。
どうせ死ぬ、ということだけはつねに
理解しておくべきだ、ということを20歳を
過ぎたばかりの子どもたちにクドクドと話たところで
恐らく身近な話題として理解できるはずがない
ということは分かっているのだが
まあ、いずれボクもキミたちも死んでいく、
ということを踏まえることを通じて
今ここにある「生をどう組織するか」
ということに関心を持ったら何かと
便利ではないか、と思っているからだ。
「他人の死」あるいは「大好きだったり
関心を持っていた有名人の死」を知り、
そのことを通じて自分の死を身構えるために
そういった死を取り巻く人々の
係わり方やコミュニケーションが
どんなものであったか、などを知る
必要があるのではなかろうか。
そういった経験は小説や映画、
テレビドラマなどを通じてもそれなりに
経験できるのではあろうが、やはり
自分自身の経験が最も重要なのだろう。
すなわち自分にとって大切な人が死んだ時
まず自分や親兄弟、友だちといった近しい
周りがこのことをどう受け止め、
その後時間が経過するとともにどう変わっていったか、
ということを自分自身で観察し、納得し、
記憶にとどめる、ということだ。
それがいちばん大切なことだと思う。
しかしそういった経験は今のような
各家族や都市型の生活であまり
子どもたちは経験することはできない。
だから映画やドラマなどでそういった
思いを込めていた主人公などの死によって
それを自分にあてはめ想像力によって
自分の思いがどうなるのかを考えることは
身近な死を理解する策ではある。
しかしこれはこれでやはりそこだけの
話になってしまい、ことさら思慮深い感性を
導き出すことは難しい。
他者の死をどう理解するか、
そこから何を導き出せたか。
本当に恐縮なんですが、またまた書く、
クドイ?
死んだらどうなるのかなんていうような
死を理解する、ということはそもそも
おかしな話なのだ。
何故なら誰でも自分の死は
理解できないのだから。
自分自身が死ぬということを
経験することなんてできないのだ。
知りえるのはせいぜい他人の死を
どう受け止めたらいいか、
ということやそれを通じて自分の死を
どう受け止め、どう理解すればいいか、
ということだけだ。
つまり自分の死は観念でしか
理解できないということなのだ。
子どもによく死の話をする。
どうせ死ぬ、ということだけはつねに
理解しておくべきだ、ということを20歳を
過ぎたばかりの子どもたちにクドクドと話たところで
恐らく身近な話題として理解できるはずがない
ということは分かっているのだが
まあ、いずれボクもキミたちも死んでいく、
ということを踏まえることを通じて
今ここにある「生をどう組織するか」
ということに関心を持ったら何かと
便利ではないか、と思っているからだ。
「他人の死」あるいは「大好きだったり
関心を持っていた有名人の死」を知り、
そのことを通じて自分の死を身構えるために
そういった死を取り巻く人々の
係わり方やコミュニケーションが
どんなものであったか、などを知る
必要があるのではなかろうか。
そういった経験は小説や映画、
テレビドラマなどを通じてもそれなりに
経験できるのではあろうが、やはり
自分自身の経験が最も重要なのだろう。
すなわち自分にとって大切な人が死んだ時
まず自分や親兄弟、友だちといった近しい
周りがこのことをどう受け止め、
その後時間が経過するとともにどう変わっていったか、
ということを自分自身で観察し、納得し、
記憶にとどめる、ということだ。
それがいちばん大切なことだと思う。
しかしそういった経験は今のような
各家族や都市型の生活であまり
子どもたちは経験することはできない。
だから映画やドラマなどでそういった
思いを込めていた主人公などの死によって
それを自分にあてはめ想像力によって
自分の思いがどうなるのかを考えることは
身近な死を理解する策ではある。
しかしこれはこれでやはりそこだけの
話になってしまい、ことさら思慮深い感性を
導き出すことは難しい。
他者の死をどう理解するか、
そこから何を導き出せたか。
2010年05月21日
50歳からはおまけの人生、好きに使おうぜ。
ボクはけっこう好奇心旺盛で
何にでもとりあえず興味を持つ、しかし
またまた飽きやすい性格でこれまた
長続きしないのだ。
しかし最近は頭も身体もトロくなり
慌てずゆっくりするようになったので、
すぐに飽きるということはなくなった。
去年くらいから興味を持ち始めて
まだ続いているのが身体構造学
や解剖学だ。
とくに人間の骨の構造になぜだか
興味がどんどん湧いて来で、
骨のプラモデルを作ったり、
解剖した形の臓器のポスターを大事そうに
寝床に張ったりしている。
人間が動くときに骨と筋肉との関係や
それを動かすためにどのくらいの血液が
筋肉に投入されているのか、そして
血中の酸素の量はどのくらいになるのだろうか、
などなど、実際どうでもいいことなのでけど
なんとなくそのメカニズムが面白いのだ。
身体力学のような理論は介護や
整形外科、整体やマッサージ、
合気道や古武術に精通している方などは
それなりに勉強しているのだろうが、
この年齢になって彼らからいろんな
話を聞くのがとても興味深く面白いのだ。
まあ、本音を言えばこのところ肉体が
どんどん老化をしている現実をいやおうなく
自覚させられることが多くなり
だったら最も効率よく、合理的に
身体を使おうとそれなりに
工夫しているところなのだ。
合気道などはそういった身体的な
合理性を最も追求した
スポーツのように思えるのだ。
フランスのロマニヨン地方で発見された
最も古い新人類・ホモサピエンスは
今の人間と骨格などはほとんど変わらない。
つまり身長も体重も足の長さなども
ろっ骨や脳の大きさなども
人間の形は20万年前とそれほど
変わっていない、ということだ。
また寿命もおおよそ50年前後で
死んでいたといわれている。
(どうやって調べたのか不思議なのだが)
だとすると信長さんの言っていた
「人間50年・・・」とそれほど変わっていないのだ。
やはり人間は50年が第一段階の寿命として
あとはおまけの人生だ、なんて思って生きれれば
例え平均寿命まで生きられなくても
それほど損した気分にはならないのだ。
髪の毛はどんどんなくなり、目もどんどん
見えなくなる(特に近くが)。
歯はどんどん抜けていき、舌も鈍くなり
おいしいモノを食べても感慨深さがなくなる。
耳も遠くなり,鼻も鈍くなる。
何よりも頭がトロくなり、
人の名前が出てこなかったり、
簡単な漢字を読めなかったり
書けなかったりすると急激に落ち込むのだ。
考えてみると案外50歳身体限界説は
それなりに当たっているような気がする。
いわゆる健康寿命はやはり50歳くらいだと
思ってそれなりに老化に逆らわずにほどほどに
生きるようにしているのだ。
旧厚生省の統計では昭和20年敗戦当時の
日本人の平均寿命は49.8歳だ。
何とこの頃は50歳にも満たなかったのだ。
親父は初めて就職した当時(昭和22年頃)
「年金掛けても55歳にならんと貰えんから
損じゃのう・・」と愚痴っていたようだが、
もう25年間貰ったようだ。
50歳からはおまけの人生、好きに使おうぜ。
何にでもとりあえず興味を持つ、しかし
またまた飽きやすい性格でこれまた
長続きしないのだ。
しかし最近は頭も身体もトロくなり
慌てずゆっくりするようになったので、
すぐに飽きるということはなくなった。
去年くらいから興味を持ち始めて
まだ続いているのが身体構造学
や解剖学だ。
とくに人間の骨の構造になぜだか
興味がどんどん湧いて来で、
骨のプラモデルを作ったり、
解剖した形の臓器のポスターを大事そうに
寝床に張ったりしている。
人間が動くときに骨と筋肉との関係や
それを動かすためにどのくらいの血液が
筋肉に投入されているのか、そして
血中の酸素の量はどのくらいになるのだろうか、
などなど、実際どうでもいいことなのでけど
なんとなくそのメカニズムが面白いのだ。
身体力学のような理論は介護や
整形外科、整体やマッサージ、
合気道や古武術に精通している方などは
それなりに勉強しているのだろうが、
この年齢になって彼らからいろんな
話を聞くのがとても興味深く面白いのだ。
まあ、本音を言えばこのところ肉体が
どんどん老化をしている現実をいやおうなく
自覚させられることが多くなり
だったら最も効率よく、合理的に
身体を使おうとそれなりに
工夫しているところなのだ。
合気道などはそういった身体的な
合理性を最も追求した
スポーツのように思えるのだ。
フランスのロマニヨン地方で発見された
最も古い新人類・ホモサピエンスは
今の人間と骨格などはほとんど変わらない。
つまり身長も体重も足の長さなども
ろっ骨や脳の大きさなども
人間の形は20万年前とそれほど
変わっていない、ということだ。
また寿命もおおよそ50年前後で
死んでいたといわれている。
(どうやって調べたのか不思議なのだが)
だとすると信長さんの言っていた
「人間50年・・・」とそれほど変わっていないのだ。
やはり人間は50年が第一段階の寿命として
あとはおまけの人生だ、なんて思って生きれれば
例え平均寿命まで生きられなくても
それほど損した気分にはならないのだ。
髪の毛はどんどんなくなり、目もどんどん
見えなくなる(特に近くが)。
歯はどんどん抜けていき、舌も鈍くなり
おいしいモノを食べても感慨深さがなくなる。
耳も遠くなり,鼻も鈍くなる。
何よりも頭がトロくなり、
人の名前が出てこなかったり、
簡単な漢字を読めなかったり
書けなかったりすると急激に落ち込むのだ。
考えてみると案外50歳身体限界説は
それなりに当たっているような気がする。
いわゆる健康寿命はやはり50歳くらいだと
思ってそれなりに老化に逆らわずにほどほどに
生きるようにしているのだ。
旧厚生省の統計では昭和20年敗戦当時の
日本人の平均寿命は49.8歳だ。
何とこの頃は50歳にも満たなかったのだ。
親父は初めて就職した当時(昭和22年頃)
「年金掛けても55歳にならんと貰えんから
損じゃのう・・」と愚痴っていたようだが、
もう25年間貰ったようだ。
50歳からはおまけの人生、好きに使おうぜ。
2010年05月20日
すでに新たな階層社会に突入しているんじゃないのかね。
土佐藩主、山内容堂が武市半平太に向かって
「いくらええこと言ってもおんしは下士じゃきのう
上士じゃなかった犬猫同然じゃ」
映画「ゴッドフアーザー」でボスが若い
子分に向かって「いくら私のために尽くしても
お前は私のファミリーじゃない」と言い放つ。
ドラマや映画の中ではあるが
身分社会、血縁社会の理不尽さを現す
象徴的なセリフで、やがて来るだろう
日本の階層社会を感じるのだ。
大卒の就職内定取り消しが
300社を超えた2年前はこの
内定取り消しが社会問題となっていたが、
それらの反動か今年は5月を過ぎても
とくに強いコネなどのある学生は別として、
企業はなかなか内定を出さない。
特に不景気の影響の大きい地方の
中小企業は採用に関して異常なほど
慎重になっている。
確かにオイルショックや円高不況、
バブル崩壊などで足踏みした時期はあったにせよ
日本経済は順調に成長し企業活動は
売り上げがどんどん上がり人手が足りなかった、
といった状況が戦後の日本だった。
しかし企業活動はここ数年で一変した。
特に雇用に関しては激震が続いているし、
これからも続くのではないか、と悲観している。
だからか企業はほんとうに採用に慎重に
慎重を重ねている。
また若者労働市場の収縮は
新たな派遣や非正規雇用が拡大し、
今後も地域経済に不景気が進んでいくと
来年にはもっと派遣や期間労働者の現場での
仕事がなくなり、多くの失業者が生まれる。
そしてその波が今や正社員にまで及んでいる。
テレビ「報道ステーション」に出ていた
53歳の正社員は北海道への
転勤を言い渡されて12月で退職した。
転勤は実質解雇通知だ。
退職金の多少の割増はあったにせよ
現在住んでいる社宅は会社から
提供されているので明け渡さなければ
ならない羽目になったのだ。
奥さんと子どもとの3人暮らしのようだが、
突然のリストラで困惑している。
「生活費の25万円余りがなくなっては
余り蓄えもないので、生活は苦しいです」
と奥さんがしくしく話す。
え、たった25万円の給料しかないのか、
と一瞬驚いたが、やはりこれが現実のようだ。
いつもしわ寄せは弱者にくるのは
世の常ではあるが、こうも容赦のない仕打ちは、
やはり怒りを覚えるのだ。
まあ、近所のハナちゃんのお父ちゃんは
去年、某電力会社を定年退職し、
どこかの天下り官僚とまではいかないが
5000万円を越す退職金をもらった、と言う、
ハナちゃんはのんびりと大学を卒業しても
就職せずに海外留学へいく。
イギリスで2年間ほど都市工学や
ガーデニングの勉強をするらしいのだが、
授業料と生活費1000万円はお父さんが
退職金からだしてくれたと言う。
まあ、教員をしているお母さんも
近々定年ということらしく、
彼女はこれからもずっと親にパラサイトして
悠々自適な生活するようだ。
男親はどうも娘には弱いようだ。
それにしても格差が固定化しつつある。
政治家の息子は政治家、医者の息子は医者へ、
公務員の子どもは公務員、教員の子どもは教員と
耳掻き屋の息子は耳掻き屋、
フーテンの子どもはフーテン
といったように職業も固定化し、
まるで江戸時代の士農工商といった
身分制度とも思えるような階級社会が
できつつあるような気がする。
まあ、それはそれでいいところもあるのだが、
やはり下克上のような世の中と比べると
元気のない社会になってしまうのかもしれないし、
才能や情熱に燃える上昇志向の人間は
海外に生活拠点を求めていくのかもしれない。
すでにもう中国や香港、タイ、オーストラリア
などに仕事や生活の拠点を移して
才能を発揮しているものが増えた。
日本で現在IT業界などで稼いでいる
在日中国人や台湾人などもかつては辛亥革命や
文化大革命を機に日本に移ってがんばって
今日があるのだから、
日本の若者も、もっと世界に向けて
出て行ってもいいのではないかと思う。
今、この日本に息苦しさを感じながら
いやいや生きている若者は多い。
いっそ勝海舟や坂本竜馬・ジョン万次郎のように、
外国人と手を結んで、今の日本の保守層と
一戦を交えてみてはいかがなものか・
江戸時代の好きな次男は
「オレは町人としてへらへら生きたいな、
お昼くらいで仕事をやめて毎日昼寝が出来たら
いいね・・」と屈託ない。
当時の町人は決して武士になりたいなんて
思わなかったと言う。
ベッカムが決して英国貴族に
なりたくないように。
「いくらええこと言ってもおんしは下士じゃきのう
上士じゃなかった犬猫同然じゃ」
映画「ゴッドフアーザー」でボスが若い
子分に向かって「いくら私のために尽くしても
お前は私のファミリーじゃない」と言い放つ。
ドラマや映画の中ではあるが
身分社会、血縁社会の理不尽さを現す
象徴的なセリフで、やがて来るだろう
日本の階層社会を感じるのだ。
大卒の就職内定取り消しが
300社を超えた2年前はこの
内定取り消しが社会問題となっていたが、
それらの反動か今年は5月を過ぎても
とくに強いコネなどのある学生は別として、
企業はなかなか内定を出さない。
特に不景気の影響の大きい地方の
中小企業は採用に関して異常なほど
慎重になっている。
確かにオイルショックや円高不況、
バブル崩壊などで足踏みした時期はあったにせよ
日本経済は順調に成長し企業活動は
売り上げがどんどん上がり人手が足りなかった、
といった状況が戦後の日本だった。
しかし企業活動はここ数年で一変した。
特に雇用に関しては激震が続いているし、
これからも続くのではないか、と悲観している。
だからか企業はほんとうに採用に慎重に
慎重を重ねている。
また若者労働市場の収縮は
新たな派遣や非正規雇用が拡大し、
今後も地域経済に不景気が進んでいくと
来年にはもっと派遣や期間労働者の現場での
仕事がなくなり、多くの失業者が生まれる。
そしてその波が今や正社員にまで及んでいる。
テレビ「報道ステーション」に出ていた
53歳の正社員は北海道への
転勤を言い渡されて12月で退職した。
転勤は実質解雇通知だ。
退職金の多少の割増はあったにせよ
現在住んでいる社宅は会社から
提供されているので明け渡さなければ
ならない羽目になったのだ。
奥さんと子どもとの3人暮らしのようだが、
突然のリストラで困惑している。
「生活費の25万円余りがなくなっては
余り蓄えもないので、生活は苦しいです」
と奥さんがしくしく話す。
え、たった25万円の給料しかないのか、
と一瞬驚いたが、やはりこれが現実のようだ。
いつもしわ寄せは弱者にくるのは
世の常ではあるが、こうも容赦のない仕打ちは、
やはり怒りを覚えるのだ。
まあ、近所のハナちゃんのお父ちゃんは
去年、某電力会社を定年退職し、
どこかの天下り官僚とまではいかないが
5000万円を越す退職金をもらった、と言う、
ハナちゃんはのんびりと大学を卒業しても
就職せずに海外留学へいく。
イギリスで2年間ほど都市工学や
ガーデニングの勉強をするらしいのだが、
授業料と生活費1000万円はお父さんが
退職金からだしてくれたと言う。
まあ、教員をしているお母さんも
近々定年ということらしく、
彼女はこれからもずっと親にパラサイトして
悠々自適な生活するようだ。
男親はどうも娘には弱いようだ。
それにしても格差が固定化しつつある。
政治家の息子は政治家、医者の息子は医者へ、
公務員の子どもは公務員、教員の子どもは教員と
耳掻き屋の息子は耳掻き屋、
フーテンの子どもはフーテン
といったように職業も固定化し、
まるで江戸時代の士農工商といった
身分制度とも思えるような階級社会が
できつつあるような気がする。
まあ、それはそれでいいところもあるのだが、
やはり下克上のような世の中と比べると
元気のない社会になってしまうのかもしれないし、
才能や情熱に燃える上昇志向の人間は
海外に生活拠点を求めていくのかもしれない。
すでにもう中国や香港、タイ、オーストラリア
などに仕事や生活の拠点を移して
才能を発揮しているものが増えた。
日本で現在IT業界などで稼いでいる
在日中国人や台湾人などもかつては辛亥革命や
文化大革命を機に日本に移ってがんばって
今日があるのだから、
日本の若者も、もっと世界に向けて
出て行ってもいいのではないかと思う。
今、この日本に息苦しさを感じながら
いやいや生きている若者は多い。
いっそ勝海舟や坂本竜馬・ジョン万次郎のように、
外国人と手を結んで、今の日本の保守層と
一戦を交えてみてはいかがなものか・
江戸時代の好きな次男は
「オレは町人としてへらへら生きたいな、
お昼くらいで仕事をやめて毎日昼寝が出来たら
いいね・・」と屈託ない。
当時の町人は決して武士になりたいなんて
思わなかったと言う。
ベッカムが決して英国貴族に
なりたくないように。
2010年05月19日
自殺と自己責任論との因果関係は。
先日自殺の原因について言及した
記事を書いたことに対して
何名かの方からオブジェクションを頂いた。
まあ、相変わらず思いつきで
書いているところがあるので
いろいろ誤解を与えるようで恐縮しており、
今回は少し補足して述べてみる。
ここで経済的な面や生活面で
自殺、あるいは死の衝動を
駆り立てる原因をボクなりに考えてみた。
なぜそんなに生きていくのが苦しいのか、
ひと思いに死にたいと思うのか、
原因を大きく二つに分割してみた。
そのひとつは上手くいかなかったこと
思うような人生を送れない原因を
すべて自分が悪いから、自分が不甲斐ないから、
自立していないから、情けないから
努力しなかったから、無能だから
自分なんかは生きる値打ちすらないから、
なんていったようにすべてを
「自己責任」で考えてしまうこと。
だから自分自身が自分の存在に
いやになり自分自身を消してしまいたい
と思うようになること。
もうひとつはその原因をすべて
社会や家族、企業、上司や同僚、
友人などのせいにして
自分は紛れもなくその被害者である、
といった考え方だ。
どちらが正しいかどうかは分からないは
その解釈の仕方で大きく変わってくる。
後者の場合は「オレが貧乏なのは
本来オレのところに入るはずのお金や
帰属すべき資産が何者かによって
横取りされているからである、間違いない」
という解釈をする人たちで、
それが振り込め詐欺や保険金詐欺といった
経済犯罪によって社会に対して仕返しや
奪われた財産の奪回に奔走しよう
といった衝動に走ったり、
ただ憂さ晴らしで秋葉原や駅前で
無差別殺人に駆り立たれたりする
可能性があるのだ。
そういった人たちは政治的な配慮を
必要とする人たちで社会的な存在なのだ。
恐らく政府が自殺対策に少しばかり
腰を上げようとしているのはこちら側の人間の
増加を気にしてのことだと思う。
今のうちに社会的コストを抑えておかないと
将来が大変なことになる、ということで
今のうちにアリバイを作っておきたい、
ということなのだろう。
知り合いの娘で大阪大学の法学部を
優秀な成績で卒業し、英語1級など
コンピュータ関係の国家資格を数々有していても
小さな出版社すら、小さな商社すら
就職が出来ない現状に怒りを覚えている。
「お前が無能だから」と一言で
済ませられられないこの現状、
自己責任で納得できないのが
本音ではなかろうか、とつい同情してしまう。
記事を書いたことに対して
何名かの方からオブジェクションを頂いた。
まあ、相変わらず思いつきで
書いているところがあるので
いろいろ誤解を与えるようで恐縮しており、
今回は少し補足して述べてみる。
ここで経済的な面や生活面で
自殺、あるいは死の衝動を
駆り立てる原因をボクなりに考えてみた。
なぜそんなに生きていくのが苦しいのか、
ひと思いに死にたいと思うのか、
原因を大きく二つに分割してみた。
そのひとつは上手くいかなかったこと
思うような人生を送れない原因を
すべて自分が悪いから、自分が不甲斐ないから、
自立していないから、情けないから
努力しなかったから、無能だから
自分なんかは生きる値打ちすらないから、
なんていったようにすべてを
「自己責任」で考えてしまうこと。
だから自分自身が自分の存在に
いやになり自分自身を消してしまいたい
と思うようになること。
もうひとつはその原因をすべて
社会や家族、企業、上司や同僚、
友人などのせいにして
自分は紛れもなくその被害者である、
といった考え方だ。
どちらが正しいかどうかは分からないは
その解釈の仕方で大きく変わってくる。
後者の場合は「オレが貧乏なのは
本来オレのところに入るはずのお金や
帰属すべき資産が何者かによって
横取りされているからである、間違いない」
という解釈をする人たちで、
それが振り込め詐欺や保険金詐欺といった
経済犯罪によって社会に対して仕返しや
奪われた財産の奪回に奔走しよう
といった衝動に走ったり、
ただ憂さ晴らしで秋葉原や駅前で
無差別殺人に駆り立たれたりする
可能性があるのだ。
そういった人たちは政治的な配慮を
必要とする人たちで社会的な存在なのだ。
恐らく政府が自殺対策に少しばかり
腰を上げようとしているのはこちら側の人間の
増加を気にしてのことだと思う。
今のうちに社会的コストを抑えておかないと
将来が大変なことになる、ということで
今のうちにアリバイを作っておきたい、
ということなのだろう。
知り合いの娘で大阪大学の法学部を
優秀な成績で卒業し、英語1級など
コンピュータ関係の国家資格を数々有していても
小さな出版社すら、小さな商社すら
就職が出来ない現状に怒りを覚えている。
「お前が無能だから」と一言で
済ませられられないこの現状、
自己責任で納得できないのが
本音ではなかろうか、とつい同情してしまう。
2010年05月16日
死ぬまで勘違いで生きれたらいいかもね。自殺防止の処方箋。
2日前、朝日新聞に
自殺に関連した記事が載っていた。
内容はおおよそ次のようなものだった。
警察庁は13日に昨年1年間に
自殺した人は前年比1・3%増加して
32845人だと発表した。
12年連続で3万にんを上回った
ということになる。
とくに40代が前年比にして6%ほど伸び、
増加ぶりが目立った。
また20代や30代もいままでで
最高の多さになり、経済や生活問題、
将来に対しての不安などが
目立ってきているようだ。
全体の75%の人の自殺の原因が
特定できたということで最も多かったのが
「健康問題」、ついで生活苦や多重債務といった
「経済・生活問題」夫婦関係の不和や家族の
将来を悲観した「家庭問題」の順だったようだ。
とくに一連の不況からか、
経済問題を苦にした自殺が
増えているのではないか、としている。
思うに自殺の原因を特定するのは
ほんとうに難しい。
経済問題だけではなくそれには同時に
家族問題や親戚や友人など
対人関係全部が含まれるであろうし
自分の健康や能力なども大きく
係わってくるのではないか、と思う。
ただ我々が本当に考えなければ
ならないのは、ほんとうに経済問題が
決定的な自殺をする引き金になったのだろうか、
ということだ。
不景気などで経済的苦しくなったり
将来の不安がどんどん押し寄せてきて
お先真っ暗、ということが「死ぬ」ということに
ほんとうに結びついたのだろうか、
とついつい考え込んでしまうのだ。
たまに遊びに来るケンちゃんなども
筋金入りのフリーターでもう40歳を超え
将来の生活設計なんてすでに
20年前から捨てているようなものでも
なんとかその日その日を死なずに生きている。
ボクから見ても羨ましいくらい
楽観的で楽しく生きている。
今思えば彼の生き方がいわゆる
「元祖草食系男子」だったもかもしれない。
「草食系男子」はある意味足るを知った
生き方だから、同級生などとの競争に負けようが
家や車がなくても、汚い服を着ていても
あまりストレスにならないようだ。
将来の不安に関しても
「そもそも不安のない人生なんてあるわけない」
と前々から言い続けているくらい達観している。
いつも思うのだが経済的なことや生活問題、
家族問題などで自殺をする人の多くは
何か大きな勘違いを抱えているような気がする。
死への衝動とはその勘違いに気が付き、
その重みに耐えかねたということではなかろうか。
一昔前はそういった勘違いをしてままでも
裸の王様が裸もままでも生きていくことが出来た。
しかし今は何らのきっかけで本当の自分を知って
しまったり、自分が裸だった、ということを
否応なく気づかされてしまうことがあるのだ。
もともと人間なんてそれほど生きる
価値なんて最初からないんだ、
ただ死ぬまでの暇つぶしを生きているだけなんだ、
と思って生きていればひょっとしたら
お気楽に生きていけるのではないか、
と思ったりする。
まだまだ世の中を見れば
勘違いしたまま生きていたり、
裸のまま生きている人ってけっこう多い。
でもそういった人の素晴らしいのは
勘違いしたままでも人間は生きていける、
ということかもしれない。
最期まで勘違いのまま人生を終えたなら
またそれはそれでいい人生だった
といえるのかもしれない。
自殺に関連した記事が載っていた。
内容はおおよそ次のようなものだった。
警察庁は13日に昨年1年間に
自殺した人は前年比1・3%増加して
32845人だと発表した。
12年連続で3万にんを上回った
ということになる。
とくに40代が前年比にして6%ほど伸び、
増加ぶりが目立った。
また20代や30代もいままでで
最高の多さになり、経済や生活問題、
将来に対しての不安などが
目立ってきているようだ。
全体の75%の人の自殺の原因が
特定できたということで最も多かったのが
「健康問題」、ついで生活苦や多重債務といった
「経済・生活問題」夫婦関係の不和や家族の
将来を悲観した「家庭問題」の順だったようだ。
とくに一連の不況からか、
経済問題を苦にした自殺が
増えているのではないか、としている。
思うに自殺の原因を特定するのは
ほんとうに難しい。
経済問題だけではなくそれには同時に
家族問題や親戚や友人など
対人関係全部が含まれるであろうし
自分の健康や能力なども大きく
係わってくるのではないか、と思う。
ただ我々が本当に考えなければ
ならないのは、ほんとうに経済問題が
決定的な自殺をする引き金になったのだろうか、
ということだ。
不景気などで経済的苦しくなったり
将来の不安がどんどん押し寄せてきて
お先真っ暗、ということが「死ぬ」ということに
ほんとうに結びついたのだろうか、
とついつい考え込んでしまうのだ。
たまに遊びに来るケンちゃんなども
筋金入りのフリーターでもう40歳を超え
将来の生活設計なんてすでに
20年前から捨てているようなものでも
なんとかその日その日を死なずに生きている。
ボクから見ても羨ましいくらい
楽観的で楽しく生きている。
今思えば彼の生き方がいわゆる
「元祖草食系男子」だったもかもしれない。
「草食系男子」はある意味足るを知った
生き方だから、同級生などとの競争に負けようが
家や車がなくても、汚い服を着ていても
あまりストレスにならないようだ。
将来の不安に関しても
「そもそも不安のない人生なんてあるわけない」
と前々から言い続けているくらい達観している。
いつも思うのだが経済的なことや生活問題、
家族問題などで自殺をする人の多くは
何か大きな勘違いを抱えているような気がする。
死への衝動とはその勘違いに気が付き、
その重みに耐えかねたということではなかろうか。
一昔前はそういった勘違いをしてままでも
裸の王様が裸もままでも生きていくことが出来た。
しかし今は何らのきっかけで本当の自分を知って
しまったり、自分が裸だった、ということを
否応なく気づかされてしまうことがあるのだ。
もともと人間なんてそれほど生きる
価値なんて最初からないんだ、
ただ死ぬまでの暇つぶしを生きているだけなんだ、
と思って生きていればひょっとしたら
お気楽に生きていけるのではないか、
と思ったりする。
まだまだ世の中を見れば
勘違いしたまま生きていたり、
裸のまま生きている人ってけっこう多い。
でもそういった人の素晴らしいのは
勘違いしたままでも人間は生きていける、
ということかもしれない。
最期まで勘違いのまま人生を終えたなら
またそれはそれでいい人生だった
といえるのかもしれない。